羽ばたき飛翔は非定常・3次元の運動です。 羽ばたき飛翔姿の美しさは“時間的に変化する形” にあると言うこともできます。 そのような“時間的に変化する形”の美しさはスナップ写真や彫刻では表現する ことはできません。 言うまでもなく、断続した夥しい数のコマから構成されている映像の中の1コマからその 映像を表現することはできないからです。 しかし、異なる見方をすれば、我々の処理能力を越えた夥しい数 の情報は無用であり、本質的な見落としが生じています(動画の制作ではそのような見落としを利用しています)。 その中から選択された最も重要で正確な情報に関心があると言うこともできるでしょう。 我々の視覚(~sec)に 対応する大きな時間尺度の映像では、小さな時間尺度の姿形は平均化されて、同程度の大きさの鳥(特に 小型や中型の鳥)はどれも似たように見える羽ばたき飛翔の映像には“それぞれの鳥に特有な飛翔を特徴 づける決定的瞬間”のコマ(小さな時間尺度での姿形)も含まれているはずです。 そのコマに対応する スナップ写真や彫刻は、映像とは異なる視点(異なる時間尺度)から、それぞれの鳥に特有な羽ばたき飛翔を 表現することができます。 それぞれの鳥や昆虫に関する飛翔の力学を熟知したデービット・アッテンボロー の野鳥の飛翔姿のスナップ写真(~msec)やストロボ写真(~μsec)が高い評価を受けているのも、そのような シーンを的確に捉えているからではないでしょうか。 時間尺度に関する多重構造は他の非定常な飛翔や 動作の姿形についても言えることです。 また、重心速度で移動する座標系で見た場合にも、重心に相対的な 各部分の運動や周囲の添景について言えることです。 ここで注意すべきことは、時間尺度の大きい・小さい は相対的なことであって、それらの絶対的な値はそれぞれの鳥の大きさ・形状・構造、飛翔の方法、動作の 遅速などによって異なることです。
野鳥の飛翔姿には、上に述べた時間に関する多重構造とともに、① トビの
帆翔で説明した長さの尺度に関する多重構造もあることに注意すべきです。 現代のアメリカにおける
バードカービングの特徴(独創性)は、細工用グラインダーやバーニングペン、アクリル絵の具を用いて、
小さな長さの尺度の形状や色彩を 効率よくリアルに表現したことにあると言えるでしょう。 もっとも、明治22年
に高村光雲が制作した矮鶏にも羽軸や羽枝の繊細な彫刻がリアルに施されています。 明治26年にシカゴ博
に工芸として出品された鈴木長吉 他の“十二の鷹”などからも、明治の人々の気骨と技力、そして先見を改めて
窺い知ることができます。 今後予想されるデジタルカービングでは、さらに小さい尺度の形状や色彩が
(微細工用切削チップやレーザー光線、インクジェットなど) さらに効率のよい新しい技法を用いて、正確に
表現されることでしょう。
秒速10m [これは周囲の流体が物体の動きに即応できる限界秒速(~循環や剥離の発生・消滅する速度)
~300m(音速)に比べてまだ十分に小さい] で動く部分は 1msec(1/1000 秒)の間に 1cm 移動します、
また 1μsec(1/1000,000 秒)の間に 0.01 mm 移動します。 例えば、嶋田忠氏の“カワセミ清流に翔ぶ”に
出てくるカワセミの急降下する場面は(その撮影データから)1/1000 秒の時間尺度(シャッター露光時間)で、
また、魚を捕らえる(着水→捕獲→離水)場面は 1/12000 秒の時間尺度(ストロボ閃光時間)で捉えられた
姿形です。 これらの写真は、動く部分の形状や色彩に対して、長さの尺度を時間の尺度と独立に考える
(表現する)ことができない事実を示しています。 例えば、大きな時間の尺度で平均化されて見える飛翔姿の
彫刻で、羽軸や羽枝といった小さな長さの尺度の形状や色彩を施すのはリアルとは言えないでしょう。
飛翔の力学は、設定された時間尺度で撮影された写真の各部分の局部的なぶれの特徴からその部分の
動きや変形を理解し、表現する上で有用です。
私の作品“鳥の彫刻-日本の野鳥の飛翔姿-”では、日本で見られる野鳥の代表的な(かつ、力学的に理想的な)飛翔について、我々の視覚に対応する大きな時間尺度で
平均化されて見える姿形(残像)の写実(写像;クロッキー)ではなく、 小さな時間尺度で捉えられる
(真写される)、それぞれの野鳥に固有な翼や風切羽の大きさ・形状・構造にも関係した、それぞれの
野鳥に特有な飛翔方法を特徴付ける飛翔場面の姿形を表現することを考えています。 実際に、長さ・時間の
尺度に関する多重構造は自然界・自然現象の本質であって、科学技術の発展の歴史を振り返るとき、それは
正にそれらの多重構造を如何に理解し、表現し、利用するかにあったように思われます。 長さ・時間の尺度の
全てにわたる姿形を同時に見ることができない、また、(野鳥の飛翔には欠くことのできない空気のような)
透明な物体、(骨格や筋肉の配置・大きさ・形状・動き・変形といった)隠れた物体、動きの速い物体、遠方の
物体や微小な物体の姿形を直接見ることができない我々人間にとって、自然界・自然現象、そして野鳥の
飛翔姿を理解し、表現することには 「象と盲人達」 の例え話のような もどかしさを感じます。
私が定年まで研究に取り組んできた混合気体や混相流体もまた“時間・長さの尺度に関して多重構造をもつ
複雑系”ですが、それらにも自然の美しさや不思議な機能性が多々存在することを見てきました。 野鳥の
飛翔姿も“時間・長さの尺度に関して多重構造をもつ複雑系”として、その見方や表現の方法において、
それらと共通するところが少なくありません。 かって NASAのエームズ研究所-宇宙科学部門にいたとき
(1967~1969)、(当時 同研究部門で考案・開発されたプローブを搭載した宇宙機探査によって次々と明らか
にされた) 太陽から噴出し、太陽輻射によって加熱・加速され、太陽系の惑星や衛星と遭遇して、それらの
大気や磁場の条件によって異なる(無衝突衝撃波やテール、オーロラと言った)様々な雄大で美しい自然の
造形を作り出す太陽風(高温の混合気体/プラズマ)と、(一見これとは無関係と思われる)水族館などで見ら
れる魚の飼育水槽内のバブリング気泡群 (あるいは、原子炉の蒸気発生器内の蒸気泡群)(混相流体)との
間に、場(電磁場/流体場)を介して相互作用する粒子(気泡)群として (その見方や表現の方法、また実際に
それらの特性において)多くの類似性があることに気付いたときの感動を思い出しています。 “気泡流中で
発生する圧力波はソリトンである”という L. van Wijngaarden(オランダ)の論文が発表されたのも 1969年でした。
後で知ったのですが、彼もまたそれまでは電離気体の研究をしていました。 なお、場(流体)を介して相互
作用する粒子群の力学(衝突を弛緩・抑制する揺乱・分散のメカニズム [S. Morioka & L. van Wijngaarden
(ed), Waves in liquid/gas and liquid/vapour two-phase systems, 1994, Kluwer Academic Pub.] など)は、
衝突することなく乱舞する野鳥の大群や集団移動する野鳥の大群の場合にも応用できるように思われます。
これに限らず一般に、野鳥の飛翔に関する知能や感覚の発達を議論するとき、自然にまたは簡単な動作で
力学的効果を作り出す形状や構造の進化のことも考慮すべきであろうと思っています。
時間の尺度を大きく変えて見るとき、始祖鳥のような過去の鳥や、鳳凰に代わる(例えば進化論や遺伝子
科学から予想されるような)未来の鳥の彫刻が制作・展示されてもおかしくはないでしょう。 このような時間に
関する多重構造は、それぞれの人の生活や人生、民族や人類の歴史、また、教育や研究のプロセスなど
についても考えられることではないでしょうか。
一方、小さな時間尺度で捉えられる特徴のある飛翔は、鳥(翼)のまわりに発生している小さな時間尺度の
多様で複雑な流体運動と関係している場合が多く、いわゆる 非定常・3次元効果として、より小さな力の負担で、
準定常流れの仮定の下に推定される揚力や推力より大きな力を発生している可能性があります。 また、
小さな時間尺度で捉えられる野鳥の飛翔姿から、飛翔の力学の知識を介して、それに連動する流体の
不思議な自然の造形を見ることにも魅力を感じます。 それらの表現(彫刻;デジタルカービング)は日光
東照宮陽明門袖垣・回廊の外壁の野鳥とその添景の透かし彫りの現代版といったところでしょうか。
添景としての可視化された大気の姿形は 大きな時間尺度で見られる野鳥の飛翔姿のメモリーとして 斬新な
表現を与えることでしょう 。