話題2. 一様な気流中に置かれた翼、循環のある流れ

 「翼が一様な気流中に置かれたとき(翼が静止気体中を一定速度で動き出すとき)、翼の上面では 速度が速くなり、翼の下面では速度が遅くなる、その結果、翼の上面では圧力が下がり、翼の下面では圧力 が上がり、翼には上向きの力(揚力)が作用する」 といった説明をよく聞きます。 この説明は、間違っては いないとしても、何か本質的な部分が欠落していると言えるでしょう。 むかし学習したことを思い出しながら、 もっと正しく説明し直してみましょう。

 これは野球でピッチャーの投げるボールが カーブする理由とよく似ています。 流体の一様な流れ の中に円柱または球を置き、流れに直角な軸のまわりに回転すると、円柱または球は流れと軸の両方に 直角な方向に力を受けます。

回転体に接する流体は粘性のために引きずられて運動し、図1-a の点線のような流線を生じ、これと 回転しない場合の流線(図1-a の実線)とが重なって、図1-b のような流線が得られます。 回転体の 上側では同方向の速度が重なるため速さは大きくなり、下側では反対方向の速度が重なるため速さ が小さくなります。 したがって、ベルヌーイの定理 「非粘性・非圧縮性流体の場合、定常な流れ (流体内の各点の速度が時間的に変わらない流れ)では、流体に作用する重力を無視するとき、 流線にそって、静圧と動圧の和は一定である」 に従って、回転体には上方へ向かう力(揚力)が生じ ます。 ここで、静圧とは圧力のことで、動圧とは単位体積の流体の運動エネルギー(=1/2×流体の 密度×流速の2乗)のことです。 回転を与えたボールがカーブするのはこのためです。 これは マグヌス効果とよばれています。 図1-a の点線で示されたような流れは“循環のある流れ”とよばれて います。

 翼に揚力が生じる理由もこれとよく似ています。 違う点は、上では物体を回転して生じた循環 のある流れが、この場合は物体の形によって自然に発生するということです。 流体力学の定理の 中に 「静止状態から出発してできる粘性のない流れは循環のない流れである」 (ケルビンの循環定理) があります。 翼が一定速度で動き出すとき、流体に全く粘性がなければ、翼まわりの流れは循環の ない流れで、図3-a (図2-a の実線)のような流線が生じるはずです。 つまり、翼の後部にできる よどみ点 S は翼の後縁 T と一致しません。 そのため、曲率の非常に大きな後縁をまわり込む流れ を生じ、T における流れの速さは非常に大きく、(ベルヌーイの定理に従って)圧力は非常に小さく なります。 一方、よどみ点では、速度は 0 で、圧力は非常に大きくなります。 このような流れの状態 は不安定で、気流は後縁 T で剥離し、図3-b に示すような渦ができ、反時計まわりの循環が発生し ます。 そして、ケルビンの循環定理を満足させるために、翼のまわりに時計まわりの循環が発生します。  後縁にできた渦はやがて翼から離れて後方に押し流され、翼のまわりには 図2-a の点線で示された ような循環のある流れが残ります。 これと循環のない流れが重なって 図2-b のような流れになり、後方 よどみ点と後縁が一致した定常な流れができます。 これが、翼の上側では流速が速くなり、翼の下側 では流速が遅くなる理由です。

 図3

 循環のある流れを伴う柱状の物体を翼とよぶとすれば、大きな循環流を伴う翼の断面はどの ような形をしているのでしょうか。 翼の断面は図4のように表すことができます。

 図4

 翼のまわりに循環のある流れが発生するためには、後縁が鋭く尖っていなければなりません。  翼の断面は、迎角、反り、厚みによって特徴づけられます。 計算や実験からわかることですが、 迎角は揚力を発生させるために必要です。 反りは揚力を増大させるために必要です。 厚みは 揚力には寄与しませんが、体重を支え、羽ばたきに耐えるために構造強度上必要です。 翼に作用 する力に関して、クッタ-ジューコフスキーの定理 「非粘性・非圧縮性流体の一様な流れの中に 置かれた翼に作用する力(揚力)の大きさは、(流体の密度)×(一様流の速さ)×(循環の大きさ) に等しく、方向は一様な流れと直角である」 があります。 循環の大きさは (循環流れの平均の 速さ)×(翼の周辺長さ) を表しています。 断面の形を与えて計算すると、循環の大きさが見出されます。 循環の大きさは迎角に比例して増大し、揚力もまた迎角に比例して増大することがわかります。  音速に比べて十分遅い空気の流れは、非粘性・非圧縮性流体の流れに近いけれども、多少の 粘性があるため、一様な流れの方向にも小さな抗力が発生します。

 図5は、大きな循環流れが発生する3つの代表的な翼型(柱状物体)について、迎角を変えた ときの揚力と抗力の変化を示した実験結果です。 αは迎角を表しています。 CL は揚力係数、 CD は抗力係数とよばれるもので、揚力、抗力を一様な流れの動圧で割って無次元化した値です。  この図からわかるように、迎角がある値以上になると、揚力が急激に減少し、同時に抗力が急増し ます。 これは翼の上面で気流が急激に剥離するからです。 この現象を失速といいます。  失速状態になると、流れは非定常になるので、ベルヌーイの定理やクッタ-ジューコフスキーの定理 はもはや成り立ちません。

 図5

 かなり小さな迎角(図5の翼では、12゜の付近)で失速が起こること、最大揚力と失速が背中 合わせにあることを知っておく必要があります。 飛翔する鳥や離着陸する鳥の進行方向に対する 翼の傾きを決めるとき必要です。 迎角に加えて、反りもまた揚力を増すこと、反りがあれば迎角が 負の値で揚力が 0 になること、反りの大きい翼では抗力も大きいことに注意しましょう。 厚みは、 翼の羽ばたきに耐え、翼で胴体を支えるために必要ですが、抗力の節減にも寄与することに注意 しましょう。 図5から、迎角、反り、厚みが一定のとき、揚力が一様流の速さの2乗に比例して大きく なることや、翼面積(~翼弦×翼幅)に比例して大きくなることもわかります。

 翼の表面に作用する圧力の合力の作用線が翼弦(前縁と後縁を結ぶ直線)を切る点を圧力中心 といいます。 圧力中心は、失速が起こるまでは、迎角にほとんど関係なく、前縁から翼弦のほぼ 1/4 のところにあります。 これは、飛翔する鳥に作用する力やモーメントのバランスを考える上で重要です。  小学生のころ、工作で模型飛行機を作ったとき、翼の取り付け位置について先生から教えられたことが 思い出されます。

 翼の最も重要な点は、クッタ-ジューコフスキーの定理によって象徴されるように、翼のまわりに 自然発生する循環流によって、翼の動く(翼を動かす)方向には力の負担がほとんどなく、それにも かかわらず、それと直角方向には大きな力が発生することです。 鳥はこの大きな力を揚力や推力に 利用しているのです。 しかし、翼がそのような(省力・省エネルギーの)魔力を発揮するためには、 翼の動く(翼を動かす)方向に厳しい制限があることを忘れてはなりません。 長距離を移動する 鳥はこのような省力・省エネルギーの飛翔方法を用い、また それに適した翼の形や大きさをしている ように思われます。

 風上に向かって帆走するヨットの帆や手漕ぎ和船の櫓の操作も 翼の力学に従うものです。 どのようにすれば効率よく前進できるかは恰好の練習問題になるでしょう。  京都に近い滋賀県竜王町ではテレビの時代劇の撮影舞台ともなっている葦原(まるやま水郷)を 手漕ぎ和船に乗って観光できます (手漕ぎの体験もさせてくれます)。 カイツブリ(滋賀の県鳥)や オオヨシキリなどを間近に見ることができます。 船頭さんが「漕ぎ方のこつは櫓を8の字を描くように 動かすことだ」と教えてくれました。 これは正にハチドリのホバリングで重力に対抗する力を作り出す 方法です。 また、スピードを出すとき、船に固定した太紐を櫓に引っ掛けて(反力に抗して)櫓の 高さを保持していたのも印象に残っています。 

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