補足


① 科学技術の知識を通して見える野鳥の飛翔姿

 鳥の飛翔姿は、長さ・時間の尺度に関して多重構造をもつ複雑系として捉えることができますが、 科学技術の知識を抜きにして、肉眼だけで、その全容を見ることはできません。


 鳥の長さの尺度に関しては、鳥の全長や翼開長を測る大きな尺度、羽根や羽弁・段刻の長さや幅を 測る中間の尺度、羽根の微細構造(羽軸や羽枝など)を測る小さな尺度が考えられます。 鳥の全体像や 羽ばたく姿は大きな尺度の数倍から数十倍離れないと見えませんが、このとき羽根の微細構造までは 見えません。 羽根の微細構造を見ようとして目を近付けたとすれば、鳥の全体像や羽ばたく姿は見え なくなります。 長さの尺度が非常に小さいときや、鳥との距離が非常に大きいときは、拡大鏡や望遠鏡 が必要になります。 時間の尺度に関しても、羽ばたく姿は、羽ばたきの周期より大きい時間でないと 見えません、そして、このとき羽ばたきの各周期の中で生じている翼の形状・構造や面積の変化は見る ことができません。 ここで、翼の形状・構造や面積の変化は、手首・肘・肩のヒンジ屈伸、翼幅方向に 異なる翼弦・迎角・反りの時間的変化、風切羽の畳み/広げ、風切羽の隙間のできる分離(翼列形成)などで 作り出されています。 また、各周期の中で生じている翼の形状・構造や面積の変化を見ようとすれば、 羽ばたく姿は見えなくなります。 羽ばたきの周期が小さいときは、高速度撮影やストロボ撮影が必要 になります。 要するに、我々の肉眼だけでは、長さ・時間の尺度の全てにわたる姿形を同時に、 ときには、小型の鳥の羽ばたき飛翔のように、それらの詳細を全く見ることができないのです。


 人が地上を歩くとき、人は地面を体重で下に押し、その反作用で体重に等しい抗力を受け、足で 地面を後ろに押して、その反作用で推力を受けて前進します。 これと同様に、鳥が大気中を飛行する とき、鳥は翼や尾や足などを動かして周囲の空気を押し、その反作用として体重に等しい揚力と、抗力 や慣性力に等しい推力、方向を変えるのに必要な横方向の力を得ています。 しかし、空気は、地面と 違って、流体ですから、翼を下に動かしても周囲の空気は静止しているはずはなく、全て下に動くこと もない、また上へ動かしても空気が全て上に動くものでもありません、そして、一般には非常に大きな 力の負担が必要になり、持続させることは困難です。 しかし、翼の周りに循環流が発生するような、 限られた方向に限られた速さで動かすと、翼の動く方向には力の負担はほとんどなく、それにもかかわ らず、それと直角方向には大きな力が得られます。 実際に、鳥は、多くの場合、そのような力を利用 して滑空や羽ばたき飛行をしています。 ここで強調したいことは、鳥の飛翔姿は、鳥の動きだけでなく、 周囲の空気の動きと連立して成り立っているということです。 そのような空気の動きにも、鳥の動き のそれらとは違った長さ・時間の尺度に関する多重構造が存在しています。 しかし、我々の肉眼では、 透明な空気の動きを直接見ることはできません。 透明な空気の動きを見るためには、微小な石鹸泡の ようなトレーサを用いた可視化の技術や力学の知識が必要になります。 鳥が飛翔しているとき、 たとえ無風の大気中であっても、鳥のまわりには流れや渦、波が発生し、大気は全体に乱されているの です。 さらに、飛翔と深く関係している骨格や筋肉の配置・大きさ・形状・動き・変形といった隠れた 物体の動きも肉眼では直接見ることはできず、それを知るためにはやはり科学技術の知識や手法が必要 になります。


 鳥の飛翔姿は、①それぞれの鳥の大きさ・形状・構造といった個性、②離陸・空中での飛翔・着陸の仕方 といった飛翔の方法、③鳥の生活圏の環境に深く関係している大気や地・水面の状態によって異なり、 これらの事項は互いに関係していて、千差万別に多様であり、鳥の飛翔姿を包括的に分類し、美しい 姿を追求することは不可能に近いと思われます。 しかし、力学の知識を通して見れば、次のような ことが分かります。




 まず、鳥が空中を直線状に飛行している場合、鳥に作用する力には、重力、揚力、抗力、推力、 (加速しているときは)慣性力がありますが、これらの力の和は常に0になっていなければなりません。  また、重力以外の力の重心に関するモーメントの和も常に0になっていなければなりません。  鳥が飛行方向を変えている場合には、鳥に作用する力が重心に関して旋回方向のモーメントを作り出す ような姿をとらねばなりません。 さらに、鳥が地・水面に接近して飛行しているときや複数の鳥が接近 して飛行している場合には、大気を介しての相互作用も考慮する必要があります。 これらは流体数値 解析の方法によって、(現段階では、比較的簡単な飛翔モデルについて)周囲の空気の動きも含めて 定量的に知ることができますが、定性的には、流体力学の理論によってかなり見通しよく知ることが できます。 

   鳥の飛翔姿には、上に述べた力およびモーメントのバランスの条件に加えて、安定性、制御性、操舵性、 抵抗の節減、力の負担、エネルギーの消費、構造強度などの条件も含まれています。 ここで、安定性 や制御性の条件とは飛翔の体勢を安定に維持し、大気の乱れなどに即応して姿勢を復元できるかどうか、 操舵性の条件とは方向転換が望む方向に切れよくできるかどうか、抵抗の節減の条件とは誘導抵抗(翼端 から流出する循環流に起因つる抵抗)を減少させ、境界層の剥離や大きな乱れの発生を防止し、空気の 摩擦抵抗を最小限に抑えられるかどうか、力の負担やエネルギー消費の条件とはそれらを最小限に抑え、 筋力や体力の範囲内で飛翔できるかどうか、構造強度の条件とは翼や羽根が体重を支え・羽ばたくのに十分な 強度をもち、外から受ける力に耐えられるかどうか、を意味しています。 長さや時間の小さな尺度 での力学的作用や効果が累積・平均化されて、大きな尺度での作用や効果に寄与していることにも注意 すべきです。 

 そして、これらの全てにわたって総合的に優れた姿、飛翔の目的に対して最も合理的な姿、いわゆる “力学的に理想的な姿”が、最も自然で美しく感じられます。 懸垂線の輪郭を持つ寺院の屋根が美しく 見えるように。 力学の知識を通して見える飛翔姿は、航空機や宇宙機、ハング-グライダーやパラグラ イダー、風に向かって帆走するヨットや手漕ぎ和船の姿などにも共通するものです。


 我々人間にとって、野鳥の飛翔姿の理解や表現は、“象と盲人達”の例え話のように、いろいろな 方法で得られる情報から構築して行く必要があります。 日々発展・普及して行く科学技術の知識を通して 見ることは、そのような社会で生活せざるを得ない我々にとって、誰もが体験できる最も客観的な見方 ではないでしょうか。 このような科学技術の知識を通して、例えば、京都鴨川の辺で、上空を帆翔 しながら輪を描くトビの姿、急いで飛んで行く、また、小刻みに羽ばたきながら着地するドバトの姿を 眺めるとき、子供の頃の記憶とはまた違った飛翔の美しさや魅力を感じます。 デジタルビデオ映像、 デジタル写真、デジタルカービング、インターネットを利用したそれらの遠隔展示、高画質テレビを利用 した3次元観賞など、科学技術の知識や手法を通して、自然環境の中の野鳥の飛翔姿をいろいろな視点 から見ることへの期待も大きく膨らみます。


 科学技術が急速に発展・普及して行く社会の中で教育を受け、生活せざる を得ない者にとって、科学技術が未発達の時代に創作された、また、科学技術の知識や手法の発展に追い つけず/それらを無視した、特殊な環境の中で育まれた“感性”によって具象化された、鳥の飛翔姿の 絵画や彫刻には、不可解な奇妙さを見ることがよくあります。 それが藝術であると言われるのであれば、 何をか言わんやですが。 ここにも、感性の重要性とともに、時代に遅れた/真理に背を向けた、その怖さ を見ることができます。

 なお、補足①の内容は、“鳥の飛行について-科学技術の知識を通して見える野鳥の飛翔姿-” と題して、説明図や注釈を加えて、山階鳥研NEWS 第207号、第208号にも載せられています。


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